2021/11/17

今日の音楽はMonoralのKiri

仕事場の女性に「久しぶり〜」とか「最近元気ないけど大丈夫?」って聞かれた。私はその人に好意を持っているので声をかけてもらって大変嬉しくなった。す、好きだ〜。会話の流れで私はもうこの人生を余生だと言った。ところで、余生とは何だ。人間生まれたら必ず死ぬのだから全ての人間は余生を生きているのではないか。われわれは余命を知らないだけだ。私は諦めている。死期は知らないけれど、希死念慮がある限り私の目の前にはいつも死の文字がちらつく。死の恐怖がある。経済的に困窮しているのも諦めに拍車をかける。こんなんじゃ、いつ野垂れ死ぬか分からん。だからこそ(死ぬ前にアレがしたいコレが欲しい)とか思う?思わねーんだな、これが。なんにもすること無いし。したいこと、あるか?みんなは生に終わりがある事を意識して動いているか?

ここには恥がある。みんなみたいにちゃんと働けない、ちゃんと生活できない、という責める気持ちと恥がある。私は恥ずかしい。こんな自分が恥ずかしくてたまらない。できないことが悲しい。何にももってないことが悔しい。病気であることが憎い。みんなみたいになりたい。みんなって誰?

死にたいとは一体何を言っていることになるのか。これは否定の言葉だ。今ある生の否定。私の否定。お前はここに存在するなの否定。抹殺したいという気持ち。恐ろしいのはさ、殺したい気持ちが他に向くことだよね。私は私のことを醜悪な人間だと思っている。潔癖で清潔な人間だなんて、とても言えない。何かが少しずれるだけで自分が法に裁かれる立場に身を置く可能性はあるのだ。誰も彼もがそうだと思う。

怖い。私は死ぬのが怖い。何故だか分からないが怖い。しかし死は訪れる。必ず来るものと信じている。ここには生きているものしかいない。しかし、死んだからといって無になるわけでもない。いつも胡蝶の夢を思い出す。自分が人間であろうが、蝶であろうが、そんなことは気にしないでいいのだ。レットイットビー。ただ、みんな必ず死ぬという事実は少し嬉しい。