パードレ、おれは狂いのなかに生きることにあきらめた。
希死念慮がここに
死を求めていることに
おれは予言をすることでおれをなぐさめている
以上、昨日のおれの労働中のメモ
今日のおれは仕事を休んだ。あまりにも頭が混乱していたし、死にたかったから(死にたくなかったから)。死にたくなくて、ずーっと寝ていた。睡眠薬なしでよくもこんなに眠れるな、と呆れるほどに寝た。
頭の中をずっと自殺のイメージがめぐっている。怖いよ。
最近読んでいるのは遠藤周作の沈黙だし、積んである本はスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチのチェルノブイリの祈り(完全版)と、暮しの手帖社の戦中・戦後の暮しの記録だ。陰惨な話が読みたいのか?おれは。しかし、これらの本が訴えているのは未来だ。「あの日起こったことを私たちは未来のために記録しつづけている」「君と、これから生まれてくる君へ」と表紙や帯にそう書いてある。
沈黙はKindleで読んでいるのだけど、パードレが神の存在を疑ってしまうシーンでおれは恐ろしくなって、とうとうページを開けなくなった。神の沈黙。信じる者が信じる対象に揺らぎを持ってしまう瞬間。おれは思う。それさえも神の御業だと思う。
恐ろしくて死ねないおれ。しかし一方でとても死にたいおれがいる。おれとはおれのものでは無いのだ。恐ろしいと思いながら死んでもいいし、狂いながら生きて死んでもいい。
今月29日に、はらだ有彩著の「ダメじゃないんじゃないんじゃない」がKADOKAWA 単行本で出る予定だ。おれはそれを楽しみにしている。それを読むまでは死なないぞ、という意気込みだ。でも、長いよ。あと10日もある。死にたくなると1日が本当に長く感じる。