エリック・ホッファーの波止場日記、注文しちゃった。だってサブタイトルが労働と思索だよ??買うしかないよね迷わないよ。3960円。高い。けど、欲しいので読みたいので買う。ああ、届くのが楽しみ。
2024/1/12
しもやけの思い出の話
20代後半だったろうか、冬に野外での労働をしていたために指が赤く腫れて痛くてどうしようもなくて人生初の皮膚科に行った。ひどい日焼けをしたとき病院に行くという選択肢が頭に無かったため、泣きながらひたすら耐えた日々が懐かしい。皮膚科のセンセイはご年配のご婦人センセイで私の指を見るなり「あ〜これは痛かったでしょ〜。今どきしもやけなんて珍しい」と言った。ユベラとヒルドイド(とあともうひとつは忘れた)を処方してもらって、無事にその冬は超えられた。労働は結局辞めた。
覚えているのは「痛かったでしょう」という共感の言葉が泣くほど欲しい言葉だったこと。しもやけにはビタミンEが良いということ。
数年経って別の科に診察行ったとき、受付カウンターにあるお知らせの沢山の紙のひとつにあのご婦人センセイの退職を知らせる紙があって、もうしもやけの心配も無いから皮膚科には用は無いけど、ご婦人センセイがもういないことが寂しかった。
全部、昔話だな。
2024/1/7
終わりゆく事の話
新年早々に出す話題ではないかも、と思う。(思うだけ)いつのまにか生まれていたので、そうなれば死ぬことを意識する。生と死を含めての生活だ。病で死んだり、老いで死んだり。嬉しい時に「ありがたい」と思うのは何故だろうと考える。悲しいときに「ありがたい」とは思わない。悲しいことは「在って欲しくない」からだ。生誕を喜び、死去を悲しむ。物事に意味や感情を付与しているのは我々であるのだ、と思う。未だ出会わない事柄については何も言えない。「在り難い」とは誰の視点なのだろう?「難い」と「易い」の判断は誰のものなのだろう?
終わりゆく我を思い、不思議だと呟き、在り難いとも思わず、たんたんとやっていく。
2023/12/29
大体欲しいものって既に家にあるな。わざわざ買うことなくてラッキーと思う。読みたいって思ったらその本が置いてあるし、ママチャリ乗りてって思ってたら物置から全然使ってないママチャリ発見しちゃったし。家人の活かされない買い物は私の役に立ったりするのだ。
今欲しいものはKindle fireの1番デカいやつ。これは無いから買うしかない。明日は鉢を買いに行こう。
2023/12/28
衝動買いと言えばそうなのだけれど、前から欲しかったのが枸杞で、なんとなく買ったのは月桂樹。枸杞はそんなに背は高くはならないが、月桂樹はそうもいかないので今から剪定を学ばなければいけないなと思う。
将来どうしたい、とかボンヤリとすら考えられなかったけど家が欲しくなった。庭メインの家。木を買ってしまったら、木のための場所が欲しくなった。田舎に住んでるけど「丁度良い田舎」なので土地はそんなに広くない。
土地探しと言うのだろうか。
ハムスターや亀が死ぬのは悲しいけれど、草や木にはそう思わない。芝生を踏めるのは、それをわざわざナマモノだと意識しないから。